シャイボーイ

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妊娠23週目、性別がついに判明する。

前回、5ヶ月目の検診では、エコーで判別できるはずだったが、大事なところをうまくあぐらで隠していたため、性別がわからなかった。焦らし上手なのだろう、ここぞというタイミングを心得ている。生まれる前から、子供に弄ばれるとは、この先思いやられる。

私は、仕事のため病院には立ち会っていない。性別の報告は、検診が終わった嫁から電話で連絡を受けた。電話越しの嫁は、妙にもったいぶっており、赤ちゃんの性別をなかなか白状しない。嫁も焦らし上手なのだ。かえるの子はかえるだなとくだらない事を考えていると、やっと嫁から、”男の子だってばよ”という報告を受ける。実を言うと嫁はナルトなのだ。

ひと昔前であれば男の子と聞くと、後継が生まれると盛大な夜会が開かれていたであろうが、女の子が生まれてくると確信していた私にとっては、ちょっとした衝撃があった。言葉にするだけの根拠はないが、なぜだか自分の子供をイメージするときは、常に女の子だったからだ。世間でも、子供を想像するとき異性を想像する場合が多いようだ。互いに好きになって結婚したはずであり、自然に、相手に似て生まれて欲しいと願って、異性の子供を想像しているのかもしれない。別に焦らし上手は似なくていいポイント。

今こうやって、自分の子は男、自分の子供は男なんだ!ぞとかみしめながらタイプしていて、やっと、キャッチボールしようかなとか、名前はなにがいいかなとか考えることができている。

 

お腹の中の赤ちゃんが、男の子 or 女の子であるかは、永遠に尽きない話題だ。だれしも、女の子だったらこうしようとか、男の子だったらあれやらせたいとか思いを馳せるが、結局はどっちでもいいのだ。これは暴言ではない。真面目にどっちでもいい。(個人差ある?)どっちでも自分の子だし、可愛いのは当たり前だ。子供の性別を詮索すること自体が一種のお祭り?楽しみ?になっているような気がする。